「韓国」 見たまま聞いたまま B
(後援会員Aさんの旅行記 2008年)

5月17日
  日本人である私が韓国語が聞けたらと思って、。現地の日本語学校に出席しています。
韓国の人は日本が侵略していた時ののことを「日帝」時代といいます。韓国の知人と話すと、日本は恥ずかしいことをしたが反省をしてない、経済大国の名に恥じない認識が必要だと言います。彼は話ながらが時として非常に興奮します。
  木浦市内にも2007年に建設された少女をたたえる碑が立ってます。(写真は後で送ります)

5月18日
今日は曇り。午後は日本から一番近い距離にあるという木浦市中で、日本軍と一番先に対峙したというところに自転車で行きました。途中地元の人に道を聞きながらどうにか到着。なかなか韓国の人は用心深いのか簡単に応えてくれないこともあったが、もちろん親切な人もいました。
 儒達山は人が多く、山の高さが228メートルなので散策に適してるようです。木浦の涙歌碑では、1930年の弾圧の時代を歌った地元の人のテープが流れていました。
 
名  称 写  真 コメント
木浦市の涙歌碑  儒達山の入り口には小さな公園のようなものがあって、そこには「木浦の涙歌碑」があります。また、中央に据えられたイスンシン(李瞬臣)の像が遥か彼方の「敵」を静かに睨んでいる。 イスンシン将軍(李瞬臣将軍)とは言わずと知れた豊臣秀吉の朝鮮侵略を打ち破った朝鮮の英雄である。