私も「赤旗まつり」アート館に出品しました
「赤旗まつり」にぜひご参加下さい
長崎県佐世保市 宇野
   赤旗まっり」出品作の釈分と説明    
   
題烏江亭  (烏江亭に題す)   杜牧(803〜852)
 勝敗は兵家も事期せず
 (戦いの勝敗のゆくえは兵法家といえども予測はつかない)

 羞を包み恥を忍ぶは是れ男児
 (恥を忍び肩身の狭い思いに耐え、再起を図ってこそ、真の男であろう)
 
 江東の子弟才俊多し
 (項羽の本拠地である江東の若者達にはすぐれた人物が多いというから)
 
 巻土重来未だ知るべからず
 (もし江東の地で力をたくわえて、地を巻き上げるような勢いで再び攻め上ったら、
   その結果はどうなったか分からない)
 楚の項羽は、秦の都・咸陽を焼き払って秦を滅ぼし、紀元前206年、西楚の覇王とな
ります。やがて漢の劉邦(後の漢の高祖)と覇を争うこととなり、初めのうちは勢いが良
いのですがやがて破局が訪れます。京劇や映画で有名な「覇王別姫」は西楚の覇王、すな
わち項羽と愛する虞美人(虞姫)のことです。勝ったり負けたりした揚げ句に、遂に楚の
軍は漢の軍隊に追い詰められ(四面楚歌)、敗退します。
 
 杜牧は晩唐の詩人で、杜甫に対して小杜といわれました。この「烏江亭に題す」は開成4年(839)、杜牧が、烏江亭(安徽省)を訪れ項羽をしのんで詠んだ詩です。英雄の末路に哀感を感じるのか、項羽は中国の民衆に愛されてきた人物なのでしょう。しかし、
項羽を批判する声も多いのです。王安石も司馬遷も。
 「捲土重来」(けんどじゅうらい・けんどちょうらい)という言葉は、この杜牧の詩から生まれ、「一度失敗した者が再び勢力を盛り返す」ことを意味するようになりました。元来は「巻土重来」と書きます。
 西安(昔の長安)飛行場が咸陽です。咸陽は今は何の変哲もない農村一地方都市で博物
館があります。かつては戦乱の巷となった時代もあったのでしょう。項羽の軍隊が咸陽を
攻めたのは2000年も前のことでした。私が参加した大橋グループ中国旅行団が西安の
観光を終えて洛陽へ向かう時、.あの四川大地震に遭遇しました。列車は動かなくなり、バ
スに変更しました。