安保闘争・三池闘争・組合活動のなかで入党してから50年
  「五十年党員証」伝達式を行いました
  

党北部地区委員会は21日、「五十年党員証」の伝達式を行いました。今年50年の党歴を迎えられた6人が参加しました。 冒頭に石川悟地区委員長が、「50年の長きにわたって、『国民の切実な利益の実現と社会進歩の促進のためにたたかい、人間による人間の搾取もなく、抑圧も戦争もない、真に平等で自由な人間関係からなる共同社会の 実現をめざして、たたかってこられた』(党規約)みなさんは、党北部地区委員会
礎を築かれた方々であり、党北部地区委員会の誇りであり、また宝です」
とお祝いをのべ、一人ひとりに「五十年党員証」を読み上げて手渡しました。 そのあと参加した50年党員全員がたたかいや思い出、これからの決意などを語り合いました。

★1960年1月1日に入党する決意でいたが、家が貧乏で一晩中思案し、2日に入党した。
松川事件の支援行動・・糊をバケツに入れマントの下に隠して夜中に貼ってまわったこと。三池党争を1か月ビニール小屋に泊まって支援したこと、これらは党に入っていたからできたことだった。
 そのあと教員になり、現場で哲学の学習会をしたり、組合の専従をしたりと、本当に党に感謝いている。

★組合活動のなかで入党。その後地方に転勤が多く、それでも各地に党員がいて、「赤旗」日刊紙も一貫して読んできた。支部会議も世知原、吉井、松浦の党員の家で交代で行ってきた。あるとき地区委員長が福島(現松浦市)に拡大に行き、そこで「赤旗」が増えた。そのあと休みの時、福島まで配達に行った。国民の要求を実現するために党員として頑張ってきた。

★よくぞここまで党員として続けさせてくれ、感謝の気持ちでいっぱいです。組合でメーデーの歌を習い、「こんな歌があったのか」と驚いた。夜間高校の音楽の先生に、荒木栄の歌などを指導して欲しいと頼んだことも。
 戸川さん宅に泊まり込んで早朝からビラ配って出勤したことも度々。

★生理休暇闘争を男性の私が本を民医連に頼んで学習し、学習会をした。その内容をその都度組合の掲示板に貼りだした。4.18問題が一番の思いでであり、悔しい思いであった。柴田朴さん(元長崎市議)と同期で、いっしょに頑張った

★何度も入党を声かけられたが、決意できなかった。三池の家族を守る会のある集会の司会をしたあと入党を決意した。

会場で50年の思いが歌われました。

志歩み続けし五十年 伝達式に若き我あり
この道を選びしことに悔はなし あきらめないで生き続けること
大暑の日 五十年目の節目来たる 熱き思いも共に耐えぬく
いをのべ、一人ひとりに「五十年党員証」を読み上げて手渡しました。
 そのあと参加した50年党員全員がたたかいや思い出、これからの決意などを語り合いました。

★1960年1月1日に入党する決意でいたが、家が貧乏で一晩中思案し、2日に入党した。
松川事件の支援行動・・糊をバケツに入れマントの下に隠して夜中に貼ってまわったこと。三池党争を1か月ビニール小屋に泊まって支援したこと、これらは党に入っていたからできたことだった。
 そのあと教員になり、現場で哲学の学習会をしたり、組合の専従をしたりと、本当に党に感謝いている。

★組合活動のなかで入党。その後地方に転勤が多く、それでも各地に党員がいて、「赤旗」日刊紙も一貫して読んできた。支部会議も世知原、吉井、松浦の党員の家で交代で行ってきた。あるとき地区委員長が福島(現松浦市)に拡大に行き、そこで「赤旗」が増えた。そのあと休みの時、福島まで配達に行った。国民の要求を実現するために党員として頑張ってきた。

★よくぞここまで党員として続けさせてくれ、感謝の気持ちでいっぱいです。組合でメーデーの歌を習い、「こんな歌があったのか」と驚いた。夜間高校の音楽の先生に、荒木栄の歌などを指導して欲しいと頼んだことも。
 戸川さん宅に泊まり込んで早朝からビラ配って出勤したことも度々。

★生理休暇闘争を男性の私が本を民医連に頼んで学習し、学習会をした。その内容をその都度組合の掲示板に貼りだした。4.18問題が一番の思いでであり、悔しい思いであった。柴田朴さん(元長崎市議)と同期で、いっしょに頑張った

★何度も入党を声かけられたが、決意できなかった。三池の家族を守る会のある集会の司会をしたあと入党を決意した。

会場で50年の思いが歌われました。

志歩み続けし五十年 伝達式に若き我あり
この道を選びしことに悔はなし あきらめないで生き続けること
大暑の日 五十年目の節目来たる 熱き思いも共に耐えぬく