「韓国」 見たまま聞いたまま K
(後援会員Aさんの旅行記 2008年)
木浦の歴史のこと   (完)  

 最後の通信は木浦の歴史について少し話します。木浦は1897年開港して1908年、日本は韓国を経済的に支配するために東洋拓殖会社を作った。収入は主に小作人収入でした。韓国の予算に匹敵する貸付などで韓国を支配していた。1920年に新築された(現在は木浦近代歴史館)。木浦は日本の侵略とともに成長してきた町のようです、

 写真の2枚は少しガラス越しで写りは良くありませんが、一枚は日本兵士が首をもって笑ってる不気味な写真と、あと一枚は安部総理のとき問題になった従軍慰安婦の身体検査の写真です。強烈でしたが、真実を後世に伝え二度と繰り返さない事が私たちの責任だと思いました。

 赤いレンガの写真は旧日本領事館です、その裏に天皇の写真があり、韓国の人は日本名を強要され参拝させられた跡がありました。
 韓国に来て韓国の人の考えが少しは分ったような気がします。
名  称 写  真 コメント
戦果報告用写真  戦争は「人間の人としての心を忘れさせる」そういうものである。この日本兵も殺した相手の首を持って誇らしげに突っ立っているのは異常である。
従軍慰安婦の身体検査と表示 軍医による身体検査があったことから日本軍が組織的に関与していたことが判明した
木浦近代歴史館

 東洋拓殖株式会社は、大日本帝国時代の朝鮮植民地事業を進めることを目的として設立された国策会社である。

 7万8000町歩(全耕作面積の約1.8%)を接収し保有していた。 接収した土地で朝鮮人小作として働かせ、地主金融業を中心業務とするようになった。

木浦文化院(旧日本領事館)  木浦文化院の裏にまわってみると「奉安殿跡」に日本語の説明文だけが立っている。植民地時代、ここに奉安殿が立ち、韓国人たちは参拝させられていた。

※ 奉安殿 = 一坪くらいの建物で、この中に天皇の写真や勅語が奉ってある。天皇への忠誠心を試されていた。
木浦の旧市内の住居